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あうろーブログ

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【読書感想】福岡伸一さん著「生物と無生物のあいだ 」ぼくたち生物は常に入れ替わってることを教えてくれる本

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 福岡伸一さん著「生物と無生物のあいだ 」

発売当時はけっこう売れた本みたい。帯に40万部突破って書いてあった。

電子書籍は今のところない。

 

内容紹介(Amazonより)

生命とは、実は流れゆく分子の淀みにすぎない!?

「生命とは何か」という生命科学最大の問いに、いま分子生物学はどう答えるのか。歴史の闇に沈んだ天才科学者たちの思考を紹介しながら、現在形の生命観を探る。ページをめくる手が止まらない極上の科学ミステリー。分子生物学がたどりついた地平を平易に明かし、目に映る景色がガラリと変える!

【怒濤の大推薦!!!】

福岡伸一さんほど生物のことを熟知し、文章がうまい人は希有である。サイエンスと詩的な感性の幸福な結びつきが、生命の奇跡を照らし出す。」――茂木健一郎

「超微細な次元における生命のふるまいは、恐ろしいほどに、美しいほどに私たちの日々のふるまいに似ている。」――内田樹

「スリルと絶望そして夢と希望と反逆の心にあふれたどきどきする読み物です! 大推薦します。」――よしもとばなな

「こんなにおもしろい本を、途中でやめることなど、誰ができよう。」――幸田真音

「優れた科学者の書いたものは、昔から、凡百の文学者の書いたものより、遥かに、人間的叡智に満ちたものだった。つまり、文学だった。そのことを、ぼくは、あらためて確認させられたのだった。」――高橋源一郎


【第29回サントリー学芸賞<社会・風俗部門>受賞】
【第1回新書大賞受賞(2008年)】

 

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

福岡/伸一

1959年東京生まれ。京都大学卒。ハーバード大学医学部研究員、京都大学助教授などを経て、青山学院大学教授、専攻は分子生物学。著書に『プリオン説はほんとうか?』(講談社ブルーバックス講談社出版文化賞科学出版賞受賞)などがある。2006年、第一回科学ジャーナリスト賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

 

 

科学の本だけど一般向けに読みやすくしてくれてる。文学的要素とミステリー的要素をたくさん入れてくれてる。 

 

生物学の歴史と、ご自身の研究内容と、「生物とは何なのか」についての考察が書かれている。DNAや細胞についての話だ。

 

野口英世さんのことについても書いてあっておもしろい。

野口像を破天荒な生身の姿として描きなおした評伝に「遠き落日」(渡辺淳一角川書店、一九七九)がある。ここで野口は、結婚詐欺まがいの行為を繰り返し、許嫁や彼の支援者を裏切り続けた、ある意味で生活破綻者としてそのダイナミズムが活写されている。ところが、このような再評価は日本では勢いを持つことなく、いまだにステレオタイプな偉人伝像が半ば神話化されている。これがとうとう大手を振って、お札の肖像画にまで祭り上げられるというのは考えてみればとても奇妙なことである。

<中略>

 さて、ただひとつ、もし公平のためにいうことがあるとすれば、それは当時、野口は見えようのないものを見ていたのだ、ということがある。

<中略>

ウイルスはあまりにも微小すぎて、彼の使っていた顕微鏡の視野の中に実像を結ぶことはなかったのである。

 

がんばったけど結果は残念ながらウソだったみたい。この本を読む限り、野口英世さんに対して悪い感情は全く湧いてこない。渡辺淳一さんの「遠き落日」も読んでみたいと思った。

 

しょっちゅう耳にする「ウイルス」という言葉。この本のおかげでどんなものか少しわかった。

しかし、ウイルスをして単なる物質から一線を画している唯一の、そして最大の特性がある。それはウイルスが自らを増やせるということだ。

<中略>

ウイルスは生物と無生物のあいだをたゆたう何者かである。もし生命を「自己複製するもの」と定義するなら、ウイルスはまぎれもなく生命体である。ウイルスが細胞に取りついてそのシステムを乗っ取り、自らを増やす様相は、さながら寄生虫とまったくかわるところがない。しかしウイルス粒子単体を眺めれば、それは無機的で、硬質の機械的オブジェにすぎず、そこには生命の律動はない。

 

 

一番おもしろかったのは、「ぼくたち生物は常に入れ替わってる」ということだ。この本を読んでそれがよくわかった。それでも「う〜ん」って感じでぼくの頭は完全に受け入れないけど…

貯蔵庫の外で、需要と供給のバランスがとれているときでも、内部の在庫品は運びだされ、一方で新しい品物を運び入れる。脂肪組織は驚くべき速さで、その中身を入れ替えながら、見かけ上、ためている風をよそおっているのだ。すべての原子は生命体の中を流れ、通り抜けているのである。

よく私たちはしばしば知人と久闊を叙するとき、「お変わりありませんね」などと挨拶を交わすが、半年、あるいは一年ほど会わずにいれば、分子のレベルでは我々はすっかり入れ替わっていて、お変わりありまくりなのである。

 

入れ替わりは「代謝」という言葉で馴染みがある。髪の毛や肌の表面が常に入れ替わっているのは受け入れられる。だけど、内側も含めて人間の体全てが常に入れ替わっているというのは、どうにも受け入れがたい。どうしても自分の体は「固定された入れ物」のように考えてしまう。それが事実と言われてもなんかしっくりこない。受け入れたいんだけどな(苦笑)

 

でも「常に新しい自分」っていう考えはぼくにとってうれしい考えだ。「過去の蓄積」とか「未来への投資」とか言われると、「もう遅い…」っていう結論になりがちで、生きづらい。「常に新しい自分に生まれ変わっている」なら、必要以上に過去や未来のことを考えないですむ気がする。

 

科学の本って結局人生観につながっていくからおもしろい。 

 

DNAやタンパク質がどんなものなのかという説明もあるので、知識・教養の面で読んで損はない本。科学者たちの裏事情(ポスドクの雇用形態とか日本の閉鎖的な大学の環境とか)も知れる。そしてそれ以上に人生観にも影響を与えてくれる。

 

結局「生物」って何なんだろう??? 

 

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とりあえず…

今日は生きるつもり。

 

 

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